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ロッキード事件の田中総理の5億円の領収書(ピーナツ)の特ダネをTBSや朝日に提供 |
 昭和天皇危篤の知らせに、50万人が、「ご快癒祈願」記帳に集まった。その記帳第一号となった時。 |

平成年号に変わった時、平成銀行、平成大学、平成病院など20点の年号を使った商標登録第1号 |


全米禁煙協会日本支部を設立 |
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| 日野原重明先生と小生と家内勝子 |
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| エルナンデスキューバ全権大使を山崎拓元副総裁に紹介(2007) |
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同窓交歓 松島みどり国交省副大臣(北野高校→東大法→朝日新聞)を稲村主幹が表敬訪問。
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山下靖典JIJA副会長(元朝日記者)と稲村本紙主幹(JIJA専務/事務局長、北野高校)が表敬訪問
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稲村宏史(INAMURA, Hiroshi) 霞が関通信社 社主(CEO) & 編集主幹
www.tourism.co.jp/inamura.htm
「生涯現役・生涯一記者」がモットー
<Home address> Mita 1-3-25-505, Minatoku, Tokyo 108-0073
(Phone>03-5444-3231, <MP>080-5657-4111
<Fax>03-5444-3232
Date of Birth: Born at Tainan, Taian on Jan.31, 1935
After being employed by C.F.Sharp Shipping Co, Swissair, Varig Airlines
& SAS, I established Kasumigaseki Tsushin-sha in 1967 to publish The
Daily Kasumigaseki, The Embassy Press and The Japan Today.
In 1997 I organized Japan International Journalist Assn.(JIJA) under cooperation
of editors and reporters of Asahi, Mainichi, Yomiuri, Sankei, Tokyo, Nikkei
to support them to study int'l tourism and aviation.
JIJA now has "The Ambassador Day" regularly every month to welcome
ambassadors to give speach to the JIJA members.
- *国際ジャーナリストクラブ事務局長
- *大使と語る 事務局長
- *外務省Foreign Press
Center外国記者
- *東京都庁記者
- *東京善意通訳クラブ事務局長&CEO
- *「琉球・奄美独立支援」全国共闘会議議長
- *元八田一朗アマチュアレスリング協会会長&参議院議員 私設秘書
- 長女経営USA
N.C.本社 JTA(Japan Travel Advisor, Inc.)日本代表
- 東京事務所、〒105-8691東京都港区芝郵便局私書箱16号
TEL:03-5444-3231、FAX:03-5444-3232、 advisor@tourism.co.jp
- 大阪府立北野高校 → 関西学院大学 →
米UNC大学院(中退) → 聖書神学校(牧師を目指し目下挑戦中)
- 東京都港区三田在住(台湾台南市生まれ)
- 祖母は、初代大審院長(日本で最初の最高裁判所長官)泉二新熊(モトジ・シンクマ)翁の姪。
- 大学在学中に日本初の女性コーラスグループで、紅白にも出場した「トリオコイサンズ」(3人の真ん中の津村(現在関口)愛子さん<現在ホノルル在住>は北野高同級生)の結成に参加し作詞を担当。「くしゃみのチャチャチャ」等を発表。
- 船会社、航空会社(スイス航空、SAS,
Varig Brazil航空)勤務を経て独立。「週刊トラベルポスト」、「日刊 霞が関」を発行する霞が関通信社を設立。
- 北野高校の先輩、故上野淳一朝日新聞社主の薫陶を受け、週刊新聞を日刊体制に変え、2005年6月1日現在
5385号を発行。
- ロッキ−ド事件がピーナツ領収書で暗礁に乗り上げた時、マスコミ(朝日新聞、TBS、日経、赤旗等)に協力して、ロッキード社の黒い金が
香港「デューク社」経由で日本に入ってくる流れを解明。 朝日(全3面)、TBS(1時間特別番組)が速報。自らの業界紙で「・・・・・顔も態度も馬主むき。田中悪相許さない」との持論を展開し、田中総理逮捕、失脚の足がかりをつくる。警視総監賞受賞。
- 日本アマレス協会初代会長八田一朗参議院議員私設秘書として、スイスのローザンヌでIOCサマランチ会長の知己を得、サマランチ会長から「人生はマラソンと同じ。1位になることよりも、最後まで走り続けることが大切」との生き方の極意を教わる。
- コレラ禍のフィリッピンを支援し、救援
活動を全国的に展開。田中総理を目白の自宅に訪ね。船2隻の救援米をフィリッピンに贈呈することに成功。価値あるロータリアンに与えられる賞を受賞。
- 救援活動を評価され、フィリッピン大統領夫人イメルダ担当大臣より表彰を受け、そのお礼にとルバング島訪問を許され、厚生省最後の救援活動チームを激励に訪問。「・・・・・日本兵がいるのはわかっているのですが」とこれが最後の救援活動という厚生省
本峠事務官の嘆きに応えるべく、帰国後、八田一朗参議院議員が会長をつとめる「歩け歩け運動」と協力して、ルバング島日本兵救援委員会を結成。
- 手塚治虫、森繁久弥、藤田 田(マクドナルド社長、ユダヤ商法の著者)、松本善明(共産党)、中馬弘毅(大臣)、小池百合子(防衛庁長官、その昔、小社のインタビュアをお願いしていた間柄)どが出た大阪
北野高等学校の"六稜魂"が人生の指針。
「今日の問題は何ぞ 戦うことなり、明日の問題は何ぞ
勝つことなり、あらゆる日の問題は何ぞ 死ぬることなり」、「生涯現役・生涯一記者」がモットー。
- TBS番組「不満がいっぱいレジャーサービス」(三国一朗、井上加寿子司会)に大石武一初代環境長官、評論家上坂冬子女史と共に業界紙編集長として第一回目から連続出場
- サンケイスポーツにコラム「新海外旅行術」を7年間毎週執筆
- 還暦を期に、父母・祖先の地「琉球・奄美」の独立支援全国共闘会議を結成し、出版活動を通じて、同地の平和裏な独立運動の支援活動を展開。
- 長女「英子」は、ニュースステーション初代キャスター。山形放送の局アナを経て渡米し、国際結婚し、ノースカロライナ州ローリー在住、1男2女の母。現在
Japan Travel Advisor,Inc.USA 代表取締役社長(社名のJTA<Japan Travel Advisor,
Inc.>は、稲村宏史が1966年に日本で設立した社名と同一で、アメリカで同社名の永年存続と発展を願って娘英子に贈呈したもの。)
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- 昭和天皇快癒祈願記帳第1号
- 平成年号商標登録第1号(2番目はドクター中松)
- 内親王 敬宮愛子さま誕生祝賀記帳第1号
- 天皇家長女 紀宮清子さまご結婚祝賀記帳第1号
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●田中真紀子外相の時、東京港区高輪プリンスホテルで開催されたアフガニスタン独立支援会議(緒方貞子議長、カルザイ大統領などアフガン閣僚はもとより、米国からパウエル長官のほか各国外務大臣が出席した国際会議)に外務省外国記者として出席し日本人記者でただ一人質問に立つ。 ●アメリカ
ブッシュ大統領の厳しい経済封鎖に苦しむキューバへの日本の仲介を模索し、エルナンデス
キューバ大使を山崎拓元副総裁の元に同道。会談で、北朝鮮訪問後の山崎氏を大使が「この次は、キューバへ」と招待。
●在日大使の講演と大使館親善交流訪問を目的とした「大使を囲む会」(平成元年設立)には、すでに50数か国の大使が参加。大使館を対象にした大使館新聞(Embassy
Press)には、各国大使館から寄せられる行事や催し物のニュースでいっぱいだ。 ●Empress(女帝)愛子さま誕生実現全国会議を組織(事務局長:稲村宏史) ●[琉球・奄美独立支援全国共闘会議」(首魁/事務局長:稲村宏史)全国展開中
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 IOCサマランチ会長をスイスのIOC本部に訪ねた時。「人生はマラソン。ゴール(目的)目指して、休まず走れ」と教わる。 |
 コレラ禍のフィリッピンを救わんと芝ロータリクラブの面々とと時の総理大臣、田中総理の目白の自宅に陳情訪問 |
 高校の先輩、上野純一朝日新聞社主(故人)との出会いが日刊通信 Daily Kasumigaseki
発行の動機となった。 |
 玉置毎日新聞論説委員、土井朝日前編集委員などとネパールのギャネンドラ新国王と面談(前国王一家が暗殺された翌年)
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 「悲しみは共に悲しむことで半分になり、喜びは共に喜ぶことで倍になる」と先輩の日野原重明聖路加病院理事長に教えられた。 |
 危険度Aで、パッケージツアー客がゼロとなり、フィジーは経済的に大打撃。それを救わんと、観政研会員12名でフィジーを訪問。写真は同国首相、外相、観光大臣等と観政研の面々。 |
「記帳一番」で参賀 プリンセス愛子様ご誕生祝賀

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| イラン大使を山崎拓元副総裁に仲介 |
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